「阿賀野川流域で起きていること」
新潟水俣病と向き合い、失われた心の絆を紡ぎ直す人々とともに歩む

金子 洋二

2009.01.15学校だより第7号より

 3年ほど前から、阿賀野川流域の地域づくりに関わっています。単に「地域づくり」と言うには少々複雑な背景があるのですが、大変やりがいを感じています。

 みなさんは、熊本で「もやい直し」という取り組みが行われているのはご存知でしょうか? そうです。私が関わっているのは新潟版のもやい直し、つまり、新潟水俣病被害地域における公害からの復興と地域振興なのです。

 その取り組みは「阿賀野川えーとこだプロジェクト」と名付けられました。住んでいる人にも訪れる人にも、阿賀野川流域のすばらしさ・奥深さを噛みしめ、土地の訛でしみじみと「え〜〜とこだ!」と言ってもらいたい! そんな思いの下、NPO、マスコミ、クリエイター、地元の団体、自治体など、分野や立場を越えて様々な人々が集まり、このプロジェクトは進められています。

 新潟水俣病というと、もう40年以上も前に確認された事件です。平成17年には公式発表40周年を契機に、泉田知事が「ふるさとの環境づくり宣言」を発表しています。「ふるさとの自然を二度と汚さない」ことを行政運営の基本指針とし、新潟水俣病に対する正しい知識の啓発と、その教訓を生かすこと、そして被害者が安心して暮らしていけるようになることなどが、行政が果たしていく責任であると明らかにしています。

 実は、この「宣言」は大変画期的なことでした。それまで行政がこの問題の根本解決を目指して正面から向き合うことはなかったのです。県がこうした姿勢を打ち出したことは、被害者や流域自治体、県民に大きなインパクトを与えています。そんな中、県の施策のひとつとして出てきたのがこの「阿賀野川えーとこだプロジェクト(正式名は「阿賀野川流域地域フィールドミュージアム事業」)」でした。

 新潟水俣病が地域にもたらしたものは、健康被害だけではありません。たとえば「病気がうつる」という偏見であったり、「補償金ほしさのニセ患者」といった地域住民どうしの疑心暗鬼であったり・・・ひどい場合には家族の中から認定患者が出ただけで就職や結婚を断られるほどでした。そうしたことを恐れて認定の申請を躊躇することも少なくなかったようです。実はいまだに「ミナマタ」という言葉を発することさえタブー視される空気があり、そのせいか若い世代はほとんどこの病気の実態を知りません。

 また、新潟水俣病は、流域の住民が連綿と受け継いできた生活そのものをも壊しました。最大の責任は水を汚した昭和電工にあることはもちろんですが、人々のくらしが阿賀野川と密接に関わっていたからこそ、この公害は発生してしまったのです。貴重なタンパク源であった川漁を始め、農業用水、炊事、洗たく、薪ひろい、山菜とり、子どもの遊びなど、人々の生活はまさに川と共にありました。

 新潟水俣病は、多くの人々に神経障害という苦痛をもたらすとともに、流域の地域社会から人と人の絆、人と川の絆、そしてこれらが培ってきた文化をも奪っていったのです。

 阿賀野川流域は、自然や文化、産業、そして郷土と隣人を愛する人々に恵まれた大変美しい地域です。このプロジェクトでは、こうした地域の宝に改めて光をあて、失われた絆を紡ぎ直し、公害という苦い経験をもつからこそできるまちづくりを進めていこうとしています。

 こうした取り組みは、実は新しいものではありません。1992年に公開された映画「阿賀に生きる」には、新潟水俣病の悲惨さというよりも、そうした被害を受けながらも粛々と阿賀の自然の中で生きる人々の日常が描かれています。有志によってつくられたこの映画には、私たちが取り組もうとしているテーマがとっくに流れているのです。その他にもこの地域では、デリケートな問題の陰で、人々の心をつなぐ様々な活動が脈々と行われていました。本当に恥ずかしながら、私がそのあたりのことを知ったのはこの仕事に関わってからなのですが、なんと深遠で地に足の着いたまちづくりなのでしょう!

 そうした活動が、ついに行政の施策として日の目を見るに至ったわけです。様々な困難が伴うとは思いますが、何かが起きないはずはありません。まちづくり学校の関係者では、市嶋彰さん、江川功さんらもプロジェクトメンバーとして関わっています。どうぞ皆様もご注目ください。